震災被災地の国道45号線沿いをツーリングして痛感した復興支援し続けることの必要性

カテゴリー:ノンジャンル 投稿日:

東北ツーリング3日目は遅まきながら昼過ぎに青森を出発。まだ宿は取れていませんが、今日は国道4号→45号で行けるところまで三陸沿岸を南下するつもりです。

陸奥湾岸の素晴らしい景観を楽しみながらVMAXを1時間ほど走らせた後、今度は山あいの道を通って十和田市、そして八戸市へ。

八戸に辿り着いた頃には既に4時過ぎ。ゆっくり走りすぎたせいか、思ったより距離は伸びませんが、いちおうまだ明るいうちに三陸の北端までたどり着きました。あとはひたすら海岸沿いに走っていくだけ。

「あまちゃん」の舞台となった久慈市に辿り着いた時点で午後6時。さすがに辺りは暗くなり、道路以外何も見えなくなりました。そろそろ今日の行動は終了しようとスマートフォンで周辺の宿をチェック。

うーん、思うように空きが見つかりません。2軒ほど直接電話してみてもやはり駄目。この先の道路事情もよく分からないことから、色々考えたあげく、一旦山側に入り盛岡で一泊することに決定。気ままなツーリングの旅とはいえ、被災地を廻る以上、宿は事前に押さえておくべきでした。

※なお、後で知ったのですが、当日は岩手県北最大級のお祭りである「久慈秋祭り」の期間中で、「あまちゃん」の能年玲奈さんと宮本信子さんが来ている日だったようです。

真っ暗な中、本当なら素晴らしい景観であろう久慈渓流沿いの国道281号線を通り、午後10時頃盛岡市内のホテルに到着。

<三日目の行程>

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来た道を戻るのもなんなので、翌日は国道106号で下りて宮古市から再スタートすることにして就寝。北リアス線沿線を丸々見逃すことになってしまいましたので、またいずれの機会に訪問したいと思います。


さてそんなこんなで旅の4日目。盛岡を午前10時頃にスタートして、昼前に宮古市に到着。暗くなるまでに松島辺りまで到達すべく、国道45号線をひた走ります。

津波浸水区間

昨日は気づかなかったのですが、走り出していきなり「津波浸水区間」という標識が頻繁に目に入ります。そういった場所を進んだ先は、たいてい河川敷の木々が半分くらい枯れていて・・・思った以上に広い範囲で津波の被害に遭ったことを実感させられます。

 

 

工事の車両も多く、思うように距離が伸びない中を進むこと小一時間。徐々に道路周辺の様子が変わってきました。

高台の部分は普通の地方道の風景なのですが、少し低地に下りると見渡す限り住宅造成地のような空き地が広がり・・・しかし、ここには人々が暮らす街が確かにあったのです。

(以後、人によっては当時を思い起こすかもしれない写真が3点続きます。パスしてその後の続きを読みたい方はこちらをクリックしてください。)


屋上以外が津波に襲われてしまったマンション。
マンション

完全に水没してしまった中学校。
中学校

橋梁が落ちたまま廃止状態のJRの駅。
津波にのみこまれた駅

もちろんこれらはほんの一部であり、今なお残る爪痕の深さには声も出ません。


震災直後は千葉に住む僕でさえそれなりに大変でしたし、連日の報道からも東北の被災地を支えていく強い意志が日本全体に溢れていたと思います。

しかし震災後1年経ち、2年経ち、徐々にマスメディアのニュースが復興の明るい話題中心にシフトしていく中、元通りとは言わないまでも被災地はどこも自立に向けて順調に歩んでいるものだと思いこんでいる自分がいました。

僕は震災同年の2011年5月にいわき市小名浜付近、6月に仙台空港付近に行き、その時もかなりの衝撃を受けたのですが・・・2年半も経つのに三陸の沿岸部がいまだこのような状態であったことは全くの予想外であり、同じ国民として知らなかったこと自体に大きな罪悪感を覚えます。


気がつくとガソリン残量ランプが点灯していたので、南三陸町付近の仮設のガソリンスタンドで給油。店員さんと少しだけ雑談。

「街が丸ごとなくなっちゃっいましたから。とにかくマイナスからゼロに戻さないと。」

テレビで何度も聞いてきたはずのこの言葉を、その現地で、当事者の方から聞かされて、僕はその言葉の重みを思い知らされた気がしました。

復興支援はまだまだ必要であり、もしかしたらこれからの方がずっと長いものなのかもしれません。今回の経験がなければ、きっと気がつかなかったと思います。やはり自分の目で見て自分の耳で聞くことは重要です。

ご自身も相当大変な思いをしてきたでしょうに、僕が千葉の人間であると知って「千葉県も液状化とか放射能とかで大変だったようですね」とねぎらって下さる店員さんに上手く返す言葉がなく、かろうじて「少しでも多くの税金がこちらに廻るよう毎日頑張って働きます」とだけ答え、スタンドを後に。

文章屋の端くれとして、もう少し良い言葉、勇気づけられる言葉が出てこなかったものかと、今考えても情けなさがつのります。


その後、松島付近までたどり着いた頃には夕方の5時半。辺りもだいぶ暗くなってきました。

奥松島

当初の予定では仙台で宿を取り、震災の年に行った仙台空港の現況を見た後、国道6号方面を通行止め区間ギリギリまで走ってから帰るつもりでしたが・・・今回はそのまま高速を使って千葉に戻ることに。

2日間走りっぱなしで少し疲れたというのもあるのですが、爆音ビッグバイクで被災地をこれ見よがしに走っている「よそ者ナンバー」のライダーと沢山すれ違ってきて、やはりそんな感じであろう自分が恥ずかしくなってしまったのが正直なところ。

次回東北に行く際は、電車か車か、もしバイクで行くとしても、VMAXではなくもっとおとなしい小排気量のやつで行くつもりです。

<四日目の行程(仙台まで)>

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最後に、今回の旅行では家庭用の簡易放射線計(エステーのエアカウンターS)を持って行ったのですが、福島県内は東北道のSA・PAでさえ、千葉よりかなり高い数値が出てしまいました。

さすがに国の避難基準値は大きく下回っているのでその辺の不安はないのですが、除染対象となる1時間あたり0.23マイクロシーベルトを超えているSA・PAは実際にいくつかありました(簡易測定でもあり、場所・数値はあえて出しません)。

直ちに健康に影響がないといっても、やはり現地に住む方々は、先々のことを考えると非常に不安なはずです。特に農業関係者の方々の苦悩を思うと、たまにではありますが農家を手伝っている僕としては、本当に胸が痛みます。

福島では震災の被害に加え、このフォールアウトの問題に対しても国内の英知を長年にわたってつぎ込んで行く必要があるわけで、原発推進派の人も、反対派の人も、その中間の考えの人も、とにかく復旧・復興への関心を失ってはならないと思いました。

僕も今後は、東北の被災地の方々に何か貢献できることがないか、微力ながら真剣に考えていくつもりです。


以上、青森での観光を含め、今回の東北ツーリングは、毎日考えさせられることの多い4日間でした。行って良かったです。




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